《おくのほそ道》四月九日 〔012〕

《おくのほそ道》

修験光明寺と云有。そこにまねかれて、行者堂を拝ス。

 夏山に足駄をおがむ首途哉

曾良随行日記》

一 六日ヨリ九日迄、雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。

俳諧書留)

しら川の関やいづことおもふにも、先、秋風の心にうごきて、苗みどりにむぎあからみて、粒々にからきめをする賎がしわざもめにちかく,すべて春秋のあはれ・月雪のながめより、この時はやゝ卯月のはじめになん侍れば、百景一ツをだに見ことあたはず。たゞ声をのみて、黙して筆を捨るのみなりけらし。

田や麦や中にも夏(の)時鳥

   元禄二年孟夏七日  芭蕉桃青

    黒羽光明寺行者堂

夏山や首途を拝む高あしだ   翁

    同

汗の香に衣ふるはん行者堂

 この日(四月九日)も、雨でしたが、即成山光明寺に招かれたようです。
 この寺、役の行者の行者堂をもつ天台修験系の山伏寺で、鹿子畑豊明邸の近く。(起源は、文治二年(1186年)に那須与一阿弥陀仏を勧請して建立したという。)高勝・豊明兄弟の妹がこの寺の津田源光に嫁いでいた関係で招かれたのだということである。


 なお、ここでの句は、俳諧書留のものと、「ほそ道」本文のものとでは異同があります。

 夏山や首途を拝む高あしだ(俳諧書留)

 夏山に足駄をおがむ首途哉(おくのほそ道)  


 夏山と言っても、この日はまだ雨模様である(たしか翌日十日の日記には、雨がやむというような記述あり)。
この夏山は、雨の中あるいはガス状の霧の中の、これから越え臨もうとする山々ではないか。無論、『ほそ道』には天候の記述がないので、そうした限定した読みは必要ないであろうが。


 なお山伏寺は山寺ではなくて、修験者が山から平野に移り住んだもの。験力をいかして医師や薬師となっていくことが多いようです。
この光明寺、今は、もう田中に句碑のみを残しているようですね。
北陸の地では、こうした山伏寺が更に浄土真宗寺院に転化していきます。

・役の行者
http://www.ayus.net/enno/home.htm
役の行者像は、手に独鈷・錫杖を持ち、一本歯か二本歯の高足駄を履いている。


 なお、忍術は、飛鳥時代修験道(開祖:役の行者)に始まり、山伏に受け継がれ戦国時代に一つのピークを迎えるようです。
下のHPは、役行者行基の裏表の関係にもふれています。
http://www.m-network.com/sengoku/ninja/ninja01.html