2004-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「螺旋の円環」の旅

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず、海浜にさすらへて、去年の…

元禄二年九月六日〔1689.10.18〕

旅のものうさも、いまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又ふねに乗て、 蛤のふたみに別行秋ぞ (曾良随行日記) 六日 同(天気吉)。辰尅出船。木因、馳走。越人、船場迄送ル。如行、今一人、三リ送ル。餞別有。申ノ上尅、杉江ヘ着。…

 〔如水日記〕

四日 一 桃青事(門弟ハ、芭蕉ト呼)、如行方に泊り、所労昨日より本復の旨承るに付き、種々申し、他者故、室下屋にて、自分病中といへども忍びにて初めて之を招き対顔。その歳四拾六、生国は伊賀の由。(一部略) 尾張地の俳諧者越人・伊勢路の曾良両人に誘…

元禄二年九月五日〔1689.10.17〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○五日 同(天気吉)。 芭蕉は、曾良の来垣を待っていたのではなかろうか。(逆に言…

元禄二年九月四日〔1689.10.16〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○四日 天気吉。源兵ヘ、会ニテ行。 この日、家老の戸田如水亭でも会があったし(←…

元禄二年九月三日〔1689.10.15〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○三日 辰ノ尅、立。乍行春老ヘ寄。及夕、大垣ニ着。天気吉。此夜、木因ニ会、息弥…

元禄二年九月二日〔1689.10.14〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) 二日 晴。大垣為行、今、申ノ尅ヨリ長禅寺ヘ行て宿。海蔵寺ニ出会ス。 曾良は、芭…

元禄二年九月一日〔1689.10.13〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) 九月朔日 晴。 元禄二年八月は、小の月で29日まで。きょうから晩秋の九月(長月)…

元禄二年八月二十九日〔1689.10.12〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○廿九日 晴。 芭蕉に宿を提供した如行は近藤如行。大垣藩士(早く致仕して僧となっ…

元禄二年八月二十八日〔1689.10.11〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○廿八日 晴。 めずらしくこの日の動向がわかっています。芭蕉は、宿駅赤坂から金生…

公爵家の娘

2年前の「おくのほそ道奇行」の折に、同行の登貴さまよりいただいた情報。“藩主の戸田家はたしか明治時代に伯爵になり、その夫人の 肖像が日本画の名作になっていましたね。 いま検索で調べたら、戸田極子さんという名で、、 岩倉具視の娘とか。↓ブラームス…

元禄二年八月二十七日〔1689.10.10〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○廿七日 晴。 芭蕉が訪れた当時の大垣藩は、戸田大垣藩の四代目、戸田氏定の時代(…

■奥の細道サミット開催地

第1回 昭和63年 岐阜県大垣市 第2回 平成元年 山形県鶴岡市 第3回 平成2年 岩手県平泉市 第4回 平成3年 栃木県黒羽町 第5回 平成4年 新潟県出雲崎町 第6回 平成5年 埼玉県草加市 第7回 平成6年 三重県上野市 第8回 平成7年 富山県朝日町 第9…

元禄二年八月二十六日〔1689.10.09〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○廿六日 晴。 きょうは、大垣を散策してください。 http://www.tees.ne.jp/~himero…

元禄二年八月二十五日〔1689.10.08〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) 巳下刻ヨリ降ル。 [巳下刻]。午前10時半ころでしょうか。前にも一度紹介したかもし…

元禄二年八月二十四日〔1689.10.07〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○廿四日 晴。 “大垣の蕉門の人々に、奥州・北陸旅の話をしたはずだ。じゃぁ、どん…

「おくのほそ道」の出演スタッフ(出演順)

《登場人物:A》・予 〔一 出発まで〕/〔六 日光〕/〔二十五 松島〕〔四十五 山中〕/〔四十八 福井〕 ・我 〔四十六 全昌寺〕 ・かゝる桑門の乞食順礼ごときの人 〔五 日光山の麓〕・同行曾良 〔四 室の八嶋〕/曾良は、河合氏にして、惣五郎と云へり 〔六 …

元禄二年八月二十三日〔1689.10.06〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○廿三日 快晴。 文中の「前川子」は津田前川 、「荊口父子」は、宮崎荊口とその三…

元禄二年八月二十二日〔1689.10.05〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。 (曾良随行日記) ○廿二日 快晴。 大垣に着いた芭蕉は、大垣藩士・近藤如行邸を宿とする。蕉門の親し…

追記〔秋の暮〕

「秋の暮」の対は、「春の暮」。以下は、「ほそ道」三日目、室の八嶋を訪れた時の芭蕉の句です。糸遊に結つきたる煙哉 あなたふと木の下暗も日の光 入かゝる日も程々に春のくれ 鐘つかぬ里は何をか春の暮 入逢の鐘もきこえず春の暮「ほそ道」本文に芭蕉はこ…

元禄二年八月二十一日〔1689.10.04〕

露通も、〔このみなと迄、出むかひて、〕ミのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、 (曾良随行日記) ○廿一日 同(天気吉)。 「おくのほそ道むすびの地」“美濃大垣”に旅胖を解く。 馬はどこから乗ったものか、春照に泊り、関が原の山越えの路を…

《おくのほそ道》元禄二年八月二十日〔1689.10.03〕

露通も、〔このみなと迄、出むかひて、〕ミのゝ国へと伴ふ。 (曾良随行日記) ○廿日 同(天気吉)。 (曾良日記の天候〔天気吉〕は伊勢長島のものです、誤解のないように。芭蕉のいる場所(どこかは不明)も似たようなものと思います、大雑把には同じ気候圏…

《おくのほそ道》元禄二年八月十九日

露通も、〔このみなと迄、出むかひて、〕ミのゝ国へと伴ふ。 (曾良随行日記) ○十九日 天気吉。 さて一昨日の宿泊地・木之本から大垣までは三十里弱?。この間に一泊(十八日夜)したとすれば北国街道の脇往還(木之本〜関が原)のなかで宿の整備されていた…

《おくのほそ道》元禄二年八月十八日

露通も、このみなと迄、出むかひて、ミのゝ国へと伴ふ。 (曾良随行日記) ○十八日 雨降。 芭蕉と露通が敦賀を立ったのは十九日という計算も成り立つ――大垣着を八月二十一日。敦賀〜大垣間(約20里)を山越えも勘案し、2泊3日として――ので、実際のところ…