《おくのほそ道》元禄二年八月十八日

露通も、このみなと迄、出むかひて、ミのゝ国へと伴ふ。

曾良随行日記)

○十八日 雨降。

芭蕉と露通が敦賀を立ったのは十九日という計算も成り立つ――大垣着を八月二十一日。敦賀〜大垣間(約20里)を山越えも勘案し、2泊3日として――ので、実際のところ315年前の今日、芭蕉がどこにいたかは不明。

一泊目が木之本であることは、距離的にみても間違いないと思われるが(9月30日参照)、二泊目はどこかということになると決め手がない(残念!)

大垣八月二十一日着の根拠とは?。そのあたりは時間があれば、今晩。
(このままだと、我々は明日〔十九日/G:10.2〕に大垣についてしまう〔笑〕。早く着いてゆっくりするか、寄り道をするか、夢の中で考えましょう・・・。)



現在の暦で5月の半ばに旅立ったこの旅路も、もう10月になりました。約4か月半。もう140日になろうとしています・・・。

なんとか、最後の一句までたどり着きたい・・・。
今しばらくおつきあいください。