《おくのほそ道》元禄二年八月十九日

露通も、〔このみなと迄、出むかひて、〕ミのゝ国へと伴ふ。

曾良随行日記)

○十九日 天気吉。

さて一昨日の宿泊地・木之本から大垣までは三十里弱?。この間に一泊(十八日夜)したとすれば北国街道の脇往還(木之本〜関が原)のなかで宿の整備されていた春照〔滋賀県坂田郡伊吹町〕か、あるいは関が原〔岐阜県不破郡関ヶ原町〕か・・・。

・〔春照(スイジョウ)〕
http://homepage1.nifty.com/naro/haisen/siujyou.htm

・・・と言いたいところだが、

名月も琵琶湖畔か大垣かのいずれかで(大垣如行宛手紙)、と思っていたくらいの芭蕉が湖畔の近江の地を通らずに大垣へ急ぐだろうか(はたして芭蕉は今更大垣へ急ぐ必要があったのか)

先行した(急ぐはずの?)曾良が、上記の脇往還という最短のルートを通らずに、長浜経由で大垣に行っているのはなぜなのか

などを考え合わせると、木之本の次の泊りは、長浜であったと考えることも可能であり、私としては芭蕉にここで琵琶湖を見せてやりたいのですが(笑)・・・。

・〔長浜〕
http://www.joyphoto.com/japanese/travel/020406/hokkoku.html