2004-06-01から1ヶ月間の記事一覧

《おくのほそ道》五月十四日 〔046〕

南部道はるかにミやりて、岩手の里に泊る。 (曾良随行日記) 一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内。)ヲ立。四リ、一ノハザマ・岩崎(栗原郡也)、藻庭大隅。三リ、三ノハザマ・真坂(栗原郡也)。岩崎ヨリ金成(此間ニ二ノハザマ有)ヘ行中程ニつくも橋…

《おくのほそ道》五月十三日 〔045〕

平泉に至る。 三代の栄耀、一睡の中にして、大門の跡ハ、一里こなたに有。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ、形を残す。先、高館にのぼれば、北上川、南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。康衡等が旧跡は、衣が関…

《おくのほそ道》五月十二日 〔044〕

戸伊摩と云所に一宿して、平泉に至る。其間、二十余里程と覚ゆ。 (曾良随行日記) 一 十二日 曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)一リ、加沢。三リ、皆山坂也。一ノ関、黄…

《おくのほそ道》五月十一日 〔043〕

明くれば、又しらぬ道まよひ行。袖のわたり、尾ぶちの牧、まのゝ萱ハらなど、よそめにみて、はるかなる、堤を行。心ぼそき長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して、 (曾良随行日記) 一 十一日 天気能。石ノ巻ヲ立。宿四兵ヘ、今一人、気仙ヘ行トテ矢内津迄…

追記〔道ふみたがへて〕

この部分は、虚構というより、上記の曾良日記に見られるような不運な道行を踏まえてかいたものと考えますが、「踏みたがふ」という表現は歌枕「緒だえの橋」にまつわる次の歌が関係あるかも知れません。 陸奥の緒絶の橋や是ならむ ふみみふまずみ心まどはす …

《おくのほそ道》五月十日 〔042〕

十二日、平和泉と心ざし、あねはの松、緒どえの橋など聞伝へて、人跡稀に、雉兎、蒭蕘の往かふ道、そこともわかず、終に、道ふみたがへて、石の巻といふ湊に出ズ。こがね花咲と、よみて奉りたる金花山、海上ニ見渡シ、数百の廻船、入江につどひ、人家、地を…

《おくのほそ道》五月九日 〔041〕

早朝塩竈の明神に詣ヅ。国守再興セられて、宮柱ふとしく、彩椽きらびやかに、石の階、九仞に重り、朝日、あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土のさかひまで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に、古き宝燈有。かねの…

《おくのほそ道》五月八日 〔040〕

彼、画図にまかせて、たどり行ば、おくの細道の山際に、十符の、菅有。今も、年々十符の菅菰を調て、国守に献ズと云り。 壷碑市川村多賀城ニ有 つぼの石ぶみハ、高サ六尺余。横三尺計歟。苔を穿て、文字幽也。四維国界之数里をしるす。此城、神亀元年、按察…

《おくのほそ道》五月七日 〔039〕

仙台に入。旅宿をもとめて、四五日逗留ス。爰に画工加右衛門と云ものあり、聊心ある者と聞て、知る人になる。このもの、年比さだからぬ名どころを、考置侍ばとて、一日案内ス。宮城野の萩茂りあひて、秋のけしき思ひやらる。玉田、よこ野、つゝじが岡は、あ…

《おくのほそ道》五月六日 〔038〕

仙台に入。旅宿をもとめて、四五日逗留ス。 (曾良随行日記) 一 六日 天気能。亀が岡八幡ヘ詣。城ノ追手ヨリ入。俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル。 仙台城については; http://www3.justnet.ne.jp/~tohrutj/sendai.htm 注:ちょうど2年前。この奇行をおこ…

追記:2〔加右衛門〕

ここでも、芭蕉はやってくれています。「嘉右衛門」→「加右衛門」 なお、芭蕉にとっては少しあてがはずれたようです。大きな城下町仙台では、知り合いのところに落ち着き、少し日数を過ごしたかったのではないかと思われます。しかし添え状も役に立たず、結…

追記:1〔あやめふく日〕

“「あやめ」は、あやめ”と何も疑うことなく読んでいたのですが、「この「あやめ」はサトイモ科に属するショウブで、アヤメ科のアヤメ・ハナショウブとはまったくの別種である。」とある本に断言してあって、あわてました。 数多い注釈本をはしごする気力も今…

《おくのほそ道》五月五日 〔037〕

(名取川をわたつて、仙台に入。あやめふく日也。)旅宿をもとめて、四五日逗留ス。爰に画工加右衛門と云ものあり、聊心ある者と聞て、知る人になる。 (曾良随行日記) 一 五日 橋本善衛門殿ヘ之状、翁持参。山口与次衛門丈ニテ宿ヘ断有。須か川吾妻五良七ヨ…

追記〔皐月のぬかり道/道いと悪しく〕

村人の諌めに耳をかさず、霊験あらたかな道祖神の前を下馬せずに通り過ぎようとし、命を失ってしまった実方。この風流人の評価には芭蕉も心揺らぐものがあったのでしょうか。ここ笠島が西行の故地でもあったのですが、ここを訪ねる労をとりませんでした。 行…

《おくのほそ道》五月四日 〔036〕

(あぶみ摺、)白石の城を過、笠しまの郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくの程ならんと、人にとへば、是より遥右に見ゆる山際の里をミのわ、笠嶋と云。道祖神の社、かたみの薄、今にありとをしゆ。此頃の五月雨に、道いとあしく、身つかれ侍れば、よそなが…

追記〔一二三五〕

そう言えば、今までの日記にも、数字が書かれていたことがあったな、と思いだし少しフォローしてみました。そうこうしているうちに、ある本のことを思い出しました。 報告は、あらためて。

《おくのほそ道》五月三日 〔035〕

短夜の空も、やうやう明れバ、又旅立ぬ。猶よるの名残、心すゝまず。馬かりて、桑折の駅に出る。はるかなる行末をかゝへて、かかる病、覚束なしといへど、羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん、是天の命也と、気力聊とり直し、道縦横に踏で、伊達…

追記〔茶を乞へば・・・〕

二年前は、時間も無く「佐藤庄司が旧跡」の項は、よく読んでなかったのですが、曾良の日記と照合すると不思議なところがかなりありますね。 一つは、日付け。――「五月朔日」 もう一つは、内容。 曾良は、「佐藤庄司ノ寺有。寺ノ門ヘ不入。」と書いて、寺〔医…

《おくのほそ道》五月二日 〔034〕

あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍の里に行。遥山陰の小里に、石半、土に埋てあり。里の童部の来りて、をしへける。むかしは、この山の上に侍しを、往来の人の、麦艸をあらして、この石を試侍るをにくみて、この谷につき落せば、石のおもて、下ざまにふ…

追記:3〔伏せられた文人追憶〕

「室の八嶋」にも実方の歌が、あったことは気がついていたのですが、ふれませんでした。芭蕉はこの安積沼でも実方の故事を踏まえながら、実方の名前はあえて出していません。そしてここでも伏せられていた実方への思いは、いずれ別の箇所で登場することにな…

追記:2〔日は山の端に・・・〕

風騒の人芭蕉は、「沼を尋、人にとひ、かつみかつみと、尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ」ということで、恐ろしき「黒塚」に着いたのは、暗くなってからと書いて興を誘っていますが、曾良さんは、そこんとこまた暴露してくれています。福島に着いた時点で…

追記

2年前のこの日の記述は、日本の古典に明るいnet友の登貴さま、美保子さまに教えていただいたことを参考に記させていただきました。

《おくのほそ道》五月朔日 〔033〕

《おくのほそ道》等窮が宅を出て、五里計、檜皮の宿を離れて、あさか山有。道よりちかし。此あたり沼多し。かつみ刈比も、やゝちかうなれバ、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみかつみと、尋ありきて…

《おくのほそ道》四月廿九日 〔032〕

《おくのほそ道》等窮が宅を出て・・・ 《曾良随行日記》一 廿九日 快晴。巳中尅、発足。石河滝見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡。)須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。…

《おくのほそ道》四月廿八日 〔031〕

すか川の駅に、等窮といふものをたづねて、四五日とゞめらる。 (曾良随行日記) 一 廿八日 発足ノ筈定ル。矢内彦三良来而延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行而及暮。十念寺・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。 「俳諧書留」 須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝とい…

《おくのほそ道》四月廿七日 〔030〕

すか川の駅に、等窮といふものをたづねて、四五日とゞめらる。 (曾良随行日記) 一 廿七日 曇。三つ物ども。芹沢の滝へ行。 曾良の日記にいう「三つ物ども」が何をさすのかよくわかりませんが、「俳諧書留」には、次のような連句が並んでいます。 旅衣早苗…

追記〔芭蕉の宗匠立机と等躬〕

杉風への手紙に、等躬についての情報も記されています。 「乍憚と申す作者、拙者万句の節、発句など致し候ふ仁にて、伊勢町山口作兵衛方の客にて御坐候ふ。」“拙者万句”とは、芭蕉が江戸で宗匠として立机した折、その披露におこなわれた万句興行のこと。等躬…

《おくのほそ道》四月廿六日 〔029〕

《おくのほそ道》すか川の駅に、等窮といふものをたづねて、四五日とゞめらる。 《曾良随行日記》廿六日 小雨ス。 この日、芭蕉は杉山杉風あてに手紙を出しています。(適宜、段落分けしました。「那す」は「那須」) 那須黒羽〜須賀川のこと。これからの予…

《おくのほそ道》四月廿五日 〔028〕

《おくのほそ道》すか川の駅に、等窮といふものをたづねて、四五日とゞめらる。 《曾良随行日記》一 廿五日 主物忌、別火。 あるじ等躬が、田植えの「物忌み」に入ったという。“別火”、火=かまど=(食)生活も、別の、おこもり状態である。 正直なところ、…

追記「主ノ田植」

ところで、、日記中の「主ノ田植」はどういう意味なのでしょうか?。 大地主でもあった等躬の家では、田植えが始まる・・・と、読むべきなのか、あえて客人のために主人がみずから田に出てこの地の田植え歌を披露したのでしょうか。 あるいは、この「主」を…