《おくのほそ道》五月十四日 〔046〕

南部道はるかにミやりて、岩手の里に泊る。

曾良随行日記)

一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内。)ヲ立。四リ、一ノハザマ・岩崎(栗原郡也)、藻庭大隅。三リ、三ノハザマ・真坂(栗原郡也)。岩崎ヨリ金成(此間ニ二ノハザマ有)ヘ行中程ニつくも橋有。岩崎ヨリ一リ半程、金成ヨリハ半道程也。岩崎ヨリ行ば道ヨリ右ノ方也。
四リ半、岩手山(伊達将監)。やしきモ町モ平地。上ノ山ハ正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東ノ方、大川也。玉造川ト云。岩山也。入口半道程前ヨリ右ヘ切レ、一ツ栗ト云村ニ至ル。小黒崎可見トノ義也。二リ余、遠キ所也故、川ニ添廻テ及暮、岩手山ニ宿ス。真坂ニテ雷雨ス。乃晴、頓テ又曇テ折々小雨スル也。
中新田町 小野田(仙台ヨリ最上ヘノ道ニ出合) 原ノ町  門沢(関所有) 渫澤 軽井澤 上ノ畑 野辺沢 尾羽根沢 大石田船乗
岩手ヨリ門沢迄すぐ道も有也。


芭蕉一行は岩出山曾良の日記の「岩手山」)にも泊まったのですね。
政宗仙台城に移る前まで居城としていたところです。
いま、城跡には、仙台城とは違う政宗像(騎馬せず直立)が建っています。
小さな、静かな城下町で、雰囲気のいい田舎町です。
〔以上は、宮城にもお住まいだったnet友・かねたくさんの情報です。〕


南部道――さらに北へつながる――にも心を残しながら(平泉の感激を持ちながらさらに北方に向けて芭蕉の心には何があったのでしょう)、芭蕉一行は奥羽山脈横断に向け進路を西にとる。
(この日の曾良日記、正直なところ後半がよくわかりません。)


ところで、どこにあるか確かめたこともなかったのですが、「座散乱木遺跡」(日本にも4万年以上前の前期旧石器時代に人が住んでいたことが証明されたとして国指定史跡となった)というのはこの岩出山町にあったのですね。
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