《おくのほそ道》四月廿九日 〔032〕

《おくのほそ道》

等窮が宅を出て・・・

曾良随行日記》

一 廿九日 快晴。巳中尅、発足。石河滝見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡。)須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も有之。滝ハ筋かヘニ百五、六十間も可有。高サ二丈、一丈五六尺、所ニヨリ壱丈計ノ所も有之。それヨリ川ヲ左ニナシ、壱里斗下リテ向、小作田村と云馬次有。ソレヨリ弐里下リ、守山宿と云馬次有。御代官諸星庄兵ヘ殿支配也。問屋善兵ヘ方ヘ(手代湯原半太夫)幽碩ヨリ状被添故、殊之外取持。又、本実坊・善法寺ヘ矢内弥市右衛門状遣ス。則、善兵ヘ、矢内ニテ、先大元明王へ参詣。裏門ヨリ本実坊へ寄、善法寺へ案内シテ本実坊同道ニテ行。村雪歌仙絵 、讃宗鑑之由、見物。内、人丸・定家・業平・素性・躬恆・五ふく、智證大し並金岡がカケル不動拝ス。探幽ガ大元明王ヲ拝ム。守山迄ハ乍単ヨリ馬ニテ被送。昼飯調テ被添。守山ヨリ善兵ヘ馬ニテ郡山(二本松領)迄送ル。カナヤト云村へかゝり、アブクマ川ヲ舟ニテ越、本通日出山ヘ出ル。守山ヨリ郡山ヘ弐里余。日ノ入前、郡山ニ到テ宿ス。宿ムサカリシ。

この日のルートは、
須賀川―石河の滝―〔阿武隈川渡〕―小作田村―守山(大元明王/本実坊)―〔阿武隈川渡(金屋の渡)〕―郡山

・守山
http://www.ht-net21.ne.jp/~jh7acv/hosomiti/moriyama.html

明王の統率者であり明王中、いちばん恐ろしい容姿をしているといわれる「大元帥明王(大元明王)」については;
http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/hotoke/taigennsui.html


ところで、曾良さん“宿ムサカリシ”といいながらその「むさい宿」で、克明にこの日の記録を書き留めていますね。
曾良さんと芭蕉さんとかなり趣味(好み)が違うらしく、曾良さんが熱っぽく語っている名画について、芭蕉は「ほそ道」ではまったくふれていません。

文中にたくさんの人名がでてきますが人丸・定家・業平・素性・躬恆らの歌仙を描いた雪村の絵に“讃”を書いている宗鑑という人は室町時代連歌師、能書家で、俳諧の祖と言われている山崎宗鑑です。
滑稽自在で知られ、辞世の歌に、


 宗鑑は何処へと人の問ふならばちとようありてあの世へといへ


というのがあります。なんだか落語にでも出てきそうですね。
芭蕉が宗鑑を詠った句。


 ありがたき姿をがまんかきつばた


(以上の宗鑑についての情報は、net友の美保子さまよりいただきました。)


元明王を祀っていた寺?は、大同年間建立で、今、「田村神社」(郡山市田村町守山)となっています。といえば、この「田村」、坂上田村麻呂に因んでいることおわかりかと思います。ここの田村神社勧進した田村大元神社が、三春町にもあります。