《おくのほそ道》五月朔日 〔033〕

《おくのほそ道》

等窮が宅を出て、五里計、檜皮の宿を離れて、あさか山有。道よりちかし。此あたり沼多し。かつみ刈比も、やゝちかうなれバ、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみかつみと、尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福嶋に泊る。

曾良随行日記》

一 五月朔日 天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出。一里半来テヒハダノ宿、馬次也。町はづれ五、六丁程過テ、あさか山有。壱り塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷ニも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレヨリ(道ヨリ左)西ノ方(大山ノ根。)三リ程間有テ、帷子ト云村(高倉ト云宿ヨリ安達郡之内。)ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、ふしん也。二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒト云町有。ソレヨリ右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らんト別当坊申ス。天台宗也。それヨリ又、右ノ渡ヲ跡ヘ越、舟着ノ岸ヨリ細道ヲつたひ、村之内ヘかゝり、福岡村ト云所ヨリ二本松ノ方ヘ本道ヘ出ル。二本松ヨリ八町ノめヘハ二リ余。黒塚ヘかゝりテハ三里余有べし。福島八町ノめヨリシノブ郡ニテ福島領也。福島町ヨリ五、六丁前、郷ノ目村ニテ神尾氏ヲ尋。三月廿九日、江戸ヘ被参由ニテ、御内・御袋ヘ逢、すぐニ福島ヘ到テ宿ス。日未少シ残ル。宿キレイ也。


元禄二年は、三月につづいて四月も「小の月(29日)」でした。
芭蕉の旅も、いよいよ五月(皐月)に入りました。

まずは、「花かつみ」・・・。


 みちのくのあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋ひやわたらむ


この読み人知らずの歌は、「古今和歌集」におさめられ、それ以降みちのくのこの地・安積沼を歌の世界に広めたもののようですが、ここに藤原実方の故事が絡んできます。<かつみ刈比(ころ)も、やゝ近うなれバ、>とは、
その実方の陸奥下向の際、端午の節句に軒に挿す菖蒲がこの地にないことを知り、そのかわりに安積沼の“かつみ”で代用するよう命じた故事を芭蕉が思い出しているらしいですね。もう五月朔日ですから・・・(この話、鴨長明の「無名抄」にあるとか。未確認・・・)
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/nagata.htm

実方については、↓のページに詳しい紹介が載っています。(水垣さんの“やまとうた”というHPから)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanekata.html


なお「what's hanakatumi」=真菰説、花菖蒲説、ヒメシャガ説、かたばみ説、葦の花説など、いろいろあるようですが、安積沼の現在地<郡山市>では、この幻の花「ハナカツミ」を市のシンボルにしています。
http://www.city.koriyama.fukushima.jp/ki-b/pr.html

「黒塚」については、年老いた鬼女がこの黒岩の岩屋に住んでいて、旅人の血を吸い肉を食べたという、謡曲『安達が原』を参照ですね。


なおこの日の宿は、“キレイ也”。