《おくのほそ道》四月廿八日 〔031〕

すか川の駅に、等窮といふものをたづねて、四五日とゞめらる。

曾良随行日記)

一 廿八日 発足ノ筈定ル。矢内彦三良来而延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行而及暮。十念寺諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。

俳諧書留」

須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝といふあるよし。行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比の雨にみかさ増りて、川を越す事かなはずといゝて止ければ 


さみだれは滝降りうづむみかさ哉   翁


案内せんといはれし等雲と云人のかたへかきやられし。薬師也。

弥生二七日の旅立ちからまる一ヶ月経ち、今日から2ヶ月目に入ります。


須賀川には“四五日とゞめらる。”と芭蕉さん書いていますが、二十二日以来、今日が七日目。出発と決めていたこの日〔四月二十八日(G:5/15)〕は、 矢内彦三郎の招きがあり延期したもようです。

矢内彦三郎とは誰なのか不明ですが、可伸(栗斎)宅での歌仙(四月二十四日)に参加した弥一衛門のことか、あるいは彼の身内の者だろうか。
※四月二十四日 、可伸(栗斎)宅での七吟歌仙に参加した等雲・深竿・素蘭は、俳諧書留の別の箇所によればによれば、等雲=吉田祐碩、素蘭=矢内弥一衛門、深竿=須竿?=内藤安衛門。


須賀川芭蕉須賀川市HP〕》↓によれば、
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/rekisi/bashou.html

芭蕉曽良須賀川から守山へ行く予定であった。守山に行くのには、三春街道を行くとすぐ近くなのだが、等雲(吉田祐碩)の勧めで石河の滝(乙字ケ滝)を見てから守山に入ることになった。ところが、連日の雨で川を越すことが出来ないからと、一日延期したのである。」とあります。


上のサイト、結局7泊もすることになった須賀川での芭蕉一行の動向を要領よくまとめてあります。ぜひご覧ください。