《おくのほそ道》四月廿六日 〔029〕

《おくのほそ道》

すか川の駅に、等窮といふものをたづねて、四五日とゞめらる。

曾良随行日記》

廿六日 小雨ス。


この日、芭蕉杉山杉風あてに手紙を出しています。(適宜、段落分けしました。「那す」は「那須」)
那須黒羽〜須賀川のこと。これからの予定。旅立ち直前の「先月のけふ」のことにふれています。

    杉風様
那す黒羽より書状送進申候、相届候哉。先々其元御無事、御一家別状無二御坐一候哉。拙者随分息災ニ而、発足前に灸能覚申候故、逗留之内、又、足などへ灸すへ申候。食事などハつね一ばい程喰申候。是ニ而気遣なしニ越路の下りへも可レ安思候。
那す黒ばねと申所、大関信濃殿御知行所ニて御坐候。城代図書と申方に逗留、長雨之内、那すに居申、道中、雨ニ一度〔も〕合不レ申、仕合能旅ニて御ざ候。那すを十五日ニ出、湯本、殺生石ある筈なれバ、六里ほど見物ニ参候。尤、道筋、湯本共ニ大関殿御領分ニて、道ニ而雨降候。庄屋に二日逗留、湯本ニ二三日居申候。尤、其内、図書より仲間送らせられ候。
白川ノ関、廿一日ニ越申候。白川より六里、須賀川と申処ニ、乍憚と申作者、拙者万句之節、発句など致候仁ニ而、伊勢町山口作兵衛方之客ニ而御坐候。是ヲ尋候而、今日廿六日まで居申候。大かた明廿七日、又発足可レ致候。
是より仙台まで風雅人もえミへず候よし、朔日二日之比、仙台へ付可レ申候。三千風、仙台へ帰、むさとしたるあれ俳諧はやり申候さた、有レ之候。仙台之風流、望絶申候。あれより秋田・庄内之方、いまだ心不レ定候。大かた六月初、加州へ付可レ申候。出羽清風も在所ニ居候よし、是ニもしばし逗留可レ致候。
いまだ此辺朝晩さむく御坐候へ共、是迄ハ皆宿能候故、万事ニ不自由無二御坐一候。もはやそろそろあたゝかに成可レ申候と待様、御おかしかるべくと被レ存候。其後深川へも御越候哉。宗波老病気も〔如〕何候哉。又、よりより養生御心得可レ被レ下候。此元発句もさのミ出不レ申候。宗五、無事ニ達者被レ致候。通々泊泊、其元の事のミ申出候。先月のけふは、貴様御出候、たれより忝候などゝいふ事のみに泣きいだし候。方々故、態たれへもたれへも書状遣し不レ申候。