《おくのほそ道》五月七日 〔039〕

仙台に入。旅宿をもとめて、四五日逗留ス。爰に画工加右衛門と云ものあり、聊心ある者と聞て、知る人になる。このもの、年比さだからぬ名どころを、考置侍ばとて、一日案内ス。宮城野の萩茂りあひて、秋のけしき思ひやらる。玉田、よこ野、つゝじが岡は、あせび咲比也。日かげももらぬ、松の林に入て、爰を、木の下と云とぞ。むかしもかく霧ふかけれバこそ、ミさぶらひ、ミかさとハよみたれ。薬師堂、天神の御社などおがみて、其日ハくれぬ。猶、松嶋、塩がまの所々画にかきて送る。且、紺の染緒つけたる、草鞋二足はなむけす。されバこそ、風流のしれもの、爰に至りて其実をあらはす。


  あやめ草足に結ん草鞋の緒

曾良随行日記)

一 七日 快晴。加衛門(北野加之)同道ニ而權現宮を拝。玉田・横野を見、つゝじが岡ノ天神ヘ詣、木の下ヘ行。薬師堂、古ヘ國分尼寺之跡也。帰リ曇。夜ニ入、加衛門・甚兵ヘ入来。册尺並横物一幅づゝ翁書給。ほし飯一袋、わらぢ二足、持参。翌朝、のり壱包持参。夜ニ降。

俳諧書留)

册尺二枚、前ノ句。

しのぶの郡、しのぶ摺の石は、茅の下に埋れ果て、いまは其わざもなかりければ、風流のむかしにおとろふる事ほいなくて


五月乙女にしかた望んしのぶ摺   翁


          加衛門加之ニ遣ス


四月四日(G:6/20)の夕方に仙台に着いた芭蕉一行は、八日(G:6/24)に発つまで3泊4日を仙台で過ごしました。

「あやめ葺く日なり」で始まった仙台は、「あやめ草」の句でうまく結構がつけられています。


(参考)
とりつなげ玉田横野のはなれ駒つつじが岡にあせび花咲く
                (源俊頼
この歌は、三千風の編集した「松嶋眺望集」にも収められていたようです。

みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり
                (古今集・東歌)


大淀三千風、「松嶋眺望集」については;
http://www.bashouan.com/pjMichikaze.htm