《おくのほそ道》五月四日 〔036〕

(あぶみ摺、)白石の城を過、笠しまの郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくの程ならんと、人にとへば、是より遥右に見ゆる山際の里をミのわ、笠嶋と云。道祖神の社、かたみの薄、今にありとをしゆ。此頃の五月雨に、道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながらながめやりて過るに、みのわ、笠しまも、五月雨の、折にふれたりと、


 笠島はいづこさ月のぬかり道


 岩沼宿
武隈の松にこそ、目覚る心地ハすれ。根は土際より、二木にわかれて、昔の姿うしなはずと、しらる。先能因法師思ひ出ヅ。往昔むつのかみにて下りし人、此木を伐て、名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、松ハ此たび跡もなしとハよみたり。代々、あるハ伐、あるひハ、植継ぎなどせしと聞に、今将千歳のかたちとゝのほひて、めでたき松のけしきになん侍し。


 武隈の松みせ申せ遅桜

 と、挙白と云ものゝ、餞別したりけれバ、

 桜より松は二木を三月越シ


名取川をわたって、仙台に入。

曾良随行日記)

一 四日 雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別當ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ邊、侍やしき也。古市源七殿住所也。
○笠嶋(名取郡之内。)、岩沼・筯田之間、左ノ方一里斗有。三ノ輪・笠嶋と村並テ有由、行過テ不見。
名取川、中田出口ニ有。大橋・小橋二ツ有。左ヨリ右ヘ流也。
○若林川、長町ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也。
夕方仙台ニ着。其夜、宿國分町大崎庄左衛門。


曾良の日記にあるように、“折ゝ日ノ光見ル”なか、順路からすれば「岩沼宿の武隈の松」→「笠島の実方の塚を行き過ぎ」となります。芭蕉はこれを逆順に記しています。

ここ武隈の松にまつわる歌を二首。


武隈の松は二本を都人いかがと問わばみきと答へん  橘季通

武隈の松はこのたび跡もなし千年を経てや我は来つらむ  能因


「挙白」については、岩波文庫の注に“奥羽出身の商人か。江戸住。草壁氏”とありますが、少し調べてみたいと思います。