《おくのほそ道》五月五日 〔037〕

名取川をわたつて、仙台に入。あやめふく日也。)旅宿をもとめて、四五日逗留ス。爰に画工加右衛門と云ものあり、聊心ある者と聞て、知る人になる。

曾良随行日記)

一 五日 橋本善衛門殿ヘ之状、翁持参。山口与次衛門丈ニテ宿ヘ断有。須か川吾妻五良七ヨリ之状、私持参、大町弐丁目、泉屋彦兵ヘ内、甚兵衛方ヘ届。甚兵衛留主。其後、此方ヘ見廻、逢也。三千風尋ルニ不知。其後、北野や加衛門(国分町ヨリ立町ヘ入、左ノ角ノ家の内。)ニ逢、委知ル。


芭蕉一行は、前日の夕方、仙台に着きました。彼らが宿をとった国分町は、現在中心繁華街のようですね。
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仙台にいると聞いていた大淀三千風を訪ねましたが、こちらはこちらで行脚の旅にでていて不在でした。
仙台の歌枕を案内した「画工」、北野屋加右衛門(実際は「嘉右衛門」、日記では「加衛門」)は、俳号を和風軒加之(かし)。三千風の高弟。三千風といっしょに仙台の歌枕の整理?の仕事をしていたようです。延享三年(1746)歿。