追記「主ノ田植」

ところで、、日記中の「主ノ田植」はどういう意味なのでしょうか?。
大地主でもあった等躬の家では、田植えが始まる・・・と、読むべきなのか、あえて客人のために主人がみずから田に出てこの地の田植え歌を披露したのでしょうか。
あるいは、この「主」を、芭蕉ととるというおもしろい趣向はいかがでしょうか。芭蕉も田植えに加わり、“風流の初やおくの田植うた”の実践というわけです。実は、明日の曾良の日記にもう一度、やはり不明な?「主」が出てきます。明日、もう一度考えてみたいと思います。
あまり先走るのもどうかと思いますが、曾良はこの須賀川以外では、芭蕉のことを「翁」と記しています(自分のことは「予」)。ここの二日だけ、芭蕉を「主」と記したと考えるのも無理があるようですが・・・。