元禄二年九月三日〔1689.10.15〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。

曾良随行日記)

○三日 辰ノ尅、立。乍行春老ヘ寄。及夕、大垣ニ着。天気吉。此夜、木因ニ会、息弥兵ヘヲ呼ニ遣セドモ不行。予ニ先達て越人着故、コレハ行。

この日の曾良がよくわかりません。夕方、大垣についてまずは芭蕉に再会したと思われるのですが、はっきりとした記述がありません。これはやはり謎です。
かってに推測するに、曾良は如行亭で、芭蕉と再会。大垣に先に着いていた越人が芭蕉と、谷木因亭での俳莚にでかけ、曾良は如行亭で疲れいやしのために休んでいたのでしょう。


この日の八吟半歌仙が残されているようですが、この半歌仙が、上記の「会」のものなのか別のものなのか、私にはわかっていません。
しかもこの半歌仙、第三句までわかっていますがあとは、きちんと資料にあたっていませんので、不知。(↓参照。ある資料の孫引き)
さらに発句が不知になっていますが、これも不知じゃ、しゃれにもなりません(笑)。木因のことでしょうか。


野嵐に鳩吹き立つる行脚哉  不知
山に別るる日を萩の露   荊口
初月やまづ西窓をはづすらん   翁
    (すみません。あと未調査です)