《おくのほそ道》五月十九日 〔051〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。

曾良随行日記)

○十九日 朝晴ル。素英、ナラ茶賞ス。夕方小雨ス。

五月十九日(G:7/5)、尾花沢3日目。

素英は、紅花商人の清風家に親しく出入りしていた談林系俳人、村川伊左衛門とのこと。


なお、「ナラ(奈良)茶」とは、茶粥のことのようです。
(↓のページには、「江戸時代、1643年に出版された料理書には、「奈良茶」という名前で茶粥が紹介されています。このころには、茶粥は一般庶民の食事となり、奈良の名物として国内で広く知られていたようです。」とあります。ちなみに「ナラ茶賞ス」の“賞ス”については、明日。)
http://www.pref.nara.jp/silk/icd/kaze/kaze19/15-wind19.html
http://www.akishino.or.jp/nara/ocha4.html

net友のかわうそ亭さんが、飯島耕一さんの『『虚栗』の時代』の一節を紹介してくださいました。

昔、明暦の大火のあと、というから幕末よりも二百年も前のこと、聖天様の門前の茶店が、豆腐汁、煮しめ、煮豆などを添えて、奈良茶の茶飯を売り出し、江戸中の評判となった。(中略)
其角に、(なら茶の詩さこそ盧同も雪の日は)の句があった。

ここで、さらに盧同という謎の人物が登場です。
(追記:中唐の詩人「盧同」(?〜835)は、煎茶の祖といったような方らしいですね。)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4140840803.html


いずれにせよ、尾花沢の地で、奈良茶を食しながら『虚栗』の編者其角のことや、江戸蕉門のことなども話題になったのでしょうか。