追記《紅花資料館》と堀米氏

紅花大尽としては、芭蕉のおかげで鈴木清風が有名ですが、最上紅花の産地としては村山郡河北町が本場で、ここにもう一人の紅花大尽にちなんだ《紅花資料館》があります。
近郷きっての豪農だった堀米家は、元禄の頃から農地の集積を行い、文政年間から明治期まで名主や戸長を勤めましたが、その間、米、紅花などの集荷出荷などによって財をなしてきました。
この資料館は、町に寄付された堀米四郎兵衛の屋敷跡を整備して昭和59年に開館したものだというのです。
http://www.town.kahoku.yamagata.jp/beni/


ここまで読んだとき、ある予感のようなものが胸をよぎりました。
〔堀米家(ホリゴメ)〕?。この珍しい名前、もしかして歴史家の堀米庸三氏は、山形のご出身なのではないか・・・?。

西洋史を専攻したことのない方でも、歴史の教科書や基本書の編著者として堀米庸三氏の名前は、ご存知の方があるかもしれません。
なかなか検索サイトでもこれはという情報にヒットせずにあきらめかけていたとき、ふと目に入ったのは、堀米氏がこの資料館のある河北町谷地(カホクチョウ・ヤチ)の出身という事実でした。
なんと、堀米庸三氏(1913(大正2)2.24〜1975(昭和50)12.22)の生家こそ、この紅花問屋の本家だったのです。
http://www.lib.pref.yamagata.jp/kenjin/horigome.html
http://www.thaa.co.jp/chiiki/chk004.html

堀米庸三氏の死後、1981年に屋敷跡は、ご子息の手から町に寄付されたようなのである。
なおヴァイオリニストの堀米ゆず子さん(1957.12.4〜)も、この堀米家のゆかりの方のようです。