《おくのほそ道》五月二十三日 〔055〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。
かれハ、富るものなれども、心ざし、いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。


涼しさを我宿にしてねまる也


這出よかいやが下のひきの声


まゆはきを俤にして紅粉の花


蚕飼する人は古代のすがたかな  曾良

曾良随行日記)

廿三日ノ夜、秋調ヘ被招。日待也。ソノ夜清風ニ宿ス。


五月二十三日(G:7/9)、尾花沢7日目。
この4句のつながりおもしろいですね。


ここで芭蕉の句の「紅粉の花」にちなんで、美保子さまの“紅花情報”。

紅花は万葉集のころは「くれなゐ」で、これは呉藍(呉の国からきた藍の意、藍は一般的に染料の意味)から来ており、古代から染料として使われていたことがわかります。また、「末摘花」という呼び方もあって(花が先端から咲き始め、次第に元の方に咲き始めてから摘み始めるのでこういう呼び方になった)、これは源氏物語で赤鼻の醜女のあだなとして有名になったおかげで、ちょっとイメージが悪くなってしまいました。でも、アザミに似た花なので、赤鼻のあだ名にはピッタリかもしれません。

紅花を栽培するには、第四紀層の土地がいいとか、酸性を帯びた土地がいいとか、開花期に適当な雨量があることとか、かなり条件があってどこでも栽培できるものではないようです。天候にもかなり左右されて、栽培が大変らしいのですが、紅をとる作業もひじょうに手間がかかるものです。その作業用語が風流なので、紹介します。

花摘み:7月ごろに花を摘み取る。
花振り:花に水を加えて黄色っぽさを洗い流す。
花寝せ:水に浸した花に莚をかぶせて日陰に寝かせ、水をかけて腐熟させる。
花かえし:その花を置けに入れて足で踏みつづけ、餅のようになったものを天日で干す。それを干花(干紅、花餅)という。

このような作業を経てできた干紅は江戸時代には純金と同じくらい高価だったそうです。また、インド人が額につける赤い花錨は紅花のおまじないだそうです。

今はスーパーでベニバナ油をよく見かけますね。これはコレステロールの蓄積を防ぐ効果のある最上の食用油だということです。気になる方はどうぞ。


―――ところで、曾良の日記には、尾花沢での歌仙興行の記事はありません(中止の記載はある!)。が、なぜか須賀川の相楽家(あの等躬さんの手元?)には、尾花沢での歌仙2巻が伝わっていたそうで、これが幽嘯編の《繋橋》に収められているようです。

その紹介は、後日・・・。