《おくのほそ道》六月五日 〔067〕

五日、権現に詣。当山開闢能除大師ハ、いづれの代の人と云事をしらず。延喜式に、羽州里山の神社と有。書写、黒の字ヲ、里山となせるにや、羽州黒山を、中略して、羽黒山と云にや。出羽といヘるハ、鳥ノ毛羽ヲ此国ノ貢ニ献ると風土記に侍とやらん。月山、湯殿を合て、三山とス。当寺武江、東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の燈、かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴ビ且、恐ル。繁栄、長にして、目出度御山と謂ツべし。

曾良随行日記)

〇五日 朝の間、小雨ス。昼ヨリ晴ル。昼迄断食シテ註連カク。夕飯過テ、先、羽黒ノ神前に詣。帰、俳、一折ニミチヌ。

仏教民俗学の学徒?としては羽黒修験については書きたいこともありますが、そこは遠慮しておいて、能除大師についてだけ簡略に;
崇峻天皇の第三皇子。蜂子皇子とも。蘇我馬子の乱を避けてこの地にいたり羽黒派修験を開く。「能除一切苦」から後世この名が贈られた。