元禄二年六月二十五日〔1689.08.10〕

酒田の余波、日を重て、北陸道の雲に望、遥々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで、百丗里と聞。

曾良随行日記)

一 廿五日 吉。酒田立。船橋迄被送。袖ノ浦向也。不玉父子・徳左・四良右・不白・近江屋三良兵・加ゞや藤右・宮部彌三郎等也。
未ノ尅、大山ニ着。状添テ丸や義左衛門方ニ宿。夜雨降。

6月25日(G:8/10)。酒田には、象潟行を含めると、6月13日以来、12泊13日。
細道本文、曾良さんの日記に登場しなかった不玉の息子さんや、徳左・四良右・不白さんなども見送りに来てくれた。象潟でその句を「細道」に取り上げられて後世にも名を残した?美濃の商人・宮部弥三郎(低耳)も、である。
丸屋義左衛門への紹介状は、この低耳のもの(岩波文庫の注によれば、<弥三郎>と<状>が線で結んであるという。)なぜ他国の商人が?の謎解きは後日。
なお不玉は、芭蕉のあとを追うように、元禄十年に亡くなっているという。