《おくのほそ道》元禄二年八月十六日

十六日、空晴たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走ス。海上七里あり。天屋何某と云もの、破籠、小竹筒など、こまやかに、したゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風、時の間に吹着ぬ。浜は、わづかなる蜑の小家にて、侘しき法華寺有。爰に、ちやをのみ、酒をあたゝめて、夕暮のさびしさ、感に堪たり。

   さびしさやすまにかちたる浜の秋

   波の間や小貝にまじる萩の塵

其日のあらまし、等栽に、筆をとらせて、寺に残ス。

曾良随行日記)

○十六日 快晴。森氏、折節入来。病躰談。七ツ過、平右ヘ寄。夜ニ入、小芝母義・彦助入来。道ヨリ帰テ逢テ玄忠ヘ行、及戌刻。其夜ヨリ薬用。

名月の翌日は、敦賀から船をだして種の浜(色の浜)に遊ぶ。西行ゆかりの地。

  汐染むるますほの小貝ひろふとて
      色の浜とはいふにやあるらむ
              西行山家集

船は、曾良が事前に頼んでおいた廻船問屋・天屋五良右衛門。彼も俳人(俳号・玄流)。
http://www.fuku-e.com/yoka/03/01/04/3-1-4-1.html

「ますほ(真赭)の小貝」は、うす桃色の美しい「チドリマスオガイ」。
(和歌と貝というユニークなページ↓〔現在、残念ながらリンク切れ〕)
http://www6.ocn.ne.jp/~hator/umi/utatokai/utatokai.htm

この旅最後の歌枕の思いが切なくも伝わってくる一章。


「侘しき法華寺」〔本隆寺〕には、実際等栽(洞栽)の文書が残る。

気比の海のけしきに愛で、種の浜の色に移りて「ますほの貝」とよみ侍りしは、西上人の形見なりけらし、されば所の小童まで、その名を伝へて、汐の間をあさり、風雅の人の心を慰む。下官(やつがれ)年ごろ思ひ渡りしに、このたび武江芭蕉庵桃青巡国のついで、この浜に詣ではべる。同じ舟にさそはれて、小貝を拾ひ、袂つゝみ、盃にうち入れなんどして、かの上人の昔をもてはやすことなむ。
               越前ふくい洞栽書
  小萩散れますほの小貝小盃   桃青

この浜では、須磨が。
福井にきて源氏物語に思いが・・・。なぜ。

この日は、種の浜に泊るか。


種の浜
衣着て小貝拾はんいろの月

(月一夜十五月より)