元禄二年三月二九日〔1689.05.18/003〕

《おくのほそ道》

室の八嶋に詣ス。同行曾良が曰、此神ハ、木の花さくや姫の神と申て、富士一躰也。無戸室に入て焼たまふ、ちかひのみ中に、火火出見のみことうまれ給ひしより、室の八嶋と申。又煙を読習し侍るもこの謂也。将このしろと云魚ヲ禁ズ。縁記の旨、世に伝ふ事も侍し。

曾良随行日記》

一 廿九日 辰ノ上尅マヽダヲ出。
 一 小山ヘ一リ半。小山ノヤシキ右ノ方ニ有。
 一 小田〔山〕ヨリ飯塚ヘ一リ半。木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。
 一 此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、
   (小クラ川)河原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘ
   カヽリ、室ノ八嶋ヘ行、(乾ノ方五町バカリ)。スグニ壬生ヘ出ル。
   (毛武ト云村アリ。)此間三リトイヘドモ、弐里余。
 一 壬生ヨリ楡木ヘ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間
   バカリ畠中ニ有。
 一 ニれ木ヨリ鹿沼ヘ一リ半。
一 昼過ヨリ曇。同晩 鹿沼(ヨリ火バサミヘ貳リ八丁。)ニ泊ル。

 曾良随行日記に「昼過ヨリ曇」とあるが、では午前中は雨だったのか、晴れだったのか。
 ところで、奥の細道本文では、ここで曾良が初めて登場する。
 曾良がどういう人だったのか、私はまったく知識がないのですが、このとりあえず名前だけ出し、語らせる登場のさせ方は――この歌枕「室の八島」本文のほとんどが曾良の調査報告の披瀝であり、しかも芭蕉の句が添えられていない――は、芭蕉が一人旅でなかったことを知らせると同時に、この二人の関係を、規定していくものになるようです。(実際は芭蕉は作句したようである。)


 個人的には、民俗学や古代学を少しかじりつつある私には、興味深い記述が並んでいる。
この室の八島は大神神社(おおみわじんじゃ)の別称なのだが、どうして大物主神大国主命)を主神とするこの神社がこの地にあり、どうして木花咲耶姫とその父・夫・子神がともに祀られているのか、はたまた八島にさまざまな神が祀られているのか、曾良の調査報告の続きを聞きたいところである。

 煙にちなんだこの歌枕では、古来多くの歌が詠まれているようですが、そうしたことや、木花咲耶姫のエピソードにもふれたいのですが、別の日の課題にしたいと思います。


 もう一度、個人的にという言葉を使わせていただければ、昨日の〔栗橋〕といい、今日登場の〔姿川(思川)〕といい、かつて田中正造とあわせて渡良瀬川流域の足尾鉱毒のことを調べていた20年前のことを思い出させてくれたものでした。


随行日記に見られる江戸時代の時刻については
http://www.tsm.toyama.toyama.jp/curators/aroom/edo/ji-edo.htm

今晩は、鹿沼泊まりである。
http://www.city.kanuma.tochigi.jp/kanumacity/Rekisi/kh001.htm

・小山や利根川水系の水運については
http://www.oyama-tcg.ed.jp/users/hk/rekisi/rekisi8.html