追記「富士と花」

 そもそも奥の細道旅立ちの朝、芭蕉は富士をはるかに望んでいるのであるが、その後、第一の歌枕へとわき目もふらず突き進んできたという感じがしないでもない。
ここで芭蕉は、再び富士を話題に出している。旅程三日目、日光を目の前にして、旅立ちを想い、一つの区切りとしたのではないか。

 偶然と思うが、「上野谷中の花の梢」と「木花咲耶姫」の対応も気にかかるところ。
この日は、弥生の末日でもあり、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と旅立ちの句に登場した、「魚」が「このしろ」という死を想起させる魚として登場しているのも、不思議な気がします。

 なお、歌枕として寄った「室の八島」。木花咲耶姫の産屋(室)での子生みの話と、死を想起させる「このしろ」の話題は、《室》というイメージで統合される《生と死》の世界なのではなかろうかと、まとはずれな雑感にひたっている私である。