追記(2004.05.20)

上の「東照宮に参詣した感激」という決めつけ的評言は、いささか疑問だと、今になって思います。その華美さに、目をみはったとしても・・・。

芭蕉は「東照宮」という表現も使わず、「恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖、穏也。猶憚多くて」と書いています。今風に言えば、“ほめ殺し”的ともとれる書き方ではないでしょうか。

日光の記述の重心が、佛五左衛門にあり、日光の「御山」については、わざわざそ知らぬ顔をして「空海」を出してきて「千歳未来をさとり給ふにや。」と述べているところも、注意しておいていいのではないでしょうか。