《おくのほそ道》六月七日 〔069〕

日出て雲消れば、湯殿に下ル。
谷の傍に、鍛冶小屋と云有。此国の鍛冶、霊水を撰て、爰に潔斎して、剱を打、終、月山と銘を切て、世に賞せらる。彼、龍泉に剱を淬とかや。干将、莫耶の、昔をしたふ。道に堪能の執、あさからぬ事しられたり。岩に腰かけて、しばしやすらふ程、三尺ばかりなる桜の、つぼみ半にひらけるあり。ふり積雪の下に埋て、はるを忘れぬ、遅桜の、花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊僧正の哥、爰に思ひ出て、猶哀も増りて覚ゆ。惣而、此山中の微細、行者の法式として、他言する事を禁ズ。仍て、筆をとヾめて記さず。

 語られぬ湯殿にぬらす袂哉

曾良随行日記)

〇七日 湯殿ヘ趣。鍛冶ヤシキ、コヤ有。牛首(本道寺へも岩根沢へも行也)、コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。。少シ行テ、ハラジヌギカエ、手縺ガケナドシテ御前ニ下ル(御前ヨリスグニシメカケ・大日坊へカヽリテ鶴ヶ岡ヘ出ル道有。)是ヨリ奥へ持タル金銀銭持テ不帰。惣テ取落モノ取上ル事不成。浄衣・法冠・シメ計ニテ行。昼時分、月山ニ帰ル。昼食シテ下向ス。強清水迄光明坊ヨリ弁当持セ、サカ迎せラル。及暮、南谷ニ帰。甚労ル。
△ハラヂヌギカヘ場ヨリシヅト云所ヘ出テ、モガミヘ行也。
△堂者坊ニ一宿。三人、壱歩。月山、一夜宿。コヤ賃廿文。方々役銭弐百文之内。散餞弐百文之内。彼是、壱歩銭不余。

この「遅桜」の部分、好きです。
ところで、行尊僧正(1057〜1135)の歌以降の部分、素龍本(岩波文庫など)と、上掲の曾良本、かなり違っていますね。

「行尊僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。(素龍本)」
「行尊僧正の哥、爰に思ひ出て、猶哀も増りて覚ゆ。(曾良本)」


大峰にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見て詠める 
 もろともにあはれと思へ山ざくら花よりほかに知る人もなし
 行尊僧正 金葉集・雑

この遅桜は、タカネザクラ(Prunus nipponica Matsumura)のことらしい。
http://www.mars.sphere.ne.jp/tamukai/takazaku.htm


この日は、月山→湯殿山→月山(昼食)→羽黒山・南谷別院
はたして、山道を何キロ歩いたものだろう。ある本によると60ロという。
曾良の「甚労ル(はなはだつかる)」は、さもありなん・・・。