元禄二年八月二十六日〔1689.10.09〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。

曾良随行日記)

○廿六日 晴。


きょうは、大垣を散策してください。
http://www.tees.ne.jp/~himeroad/mino/sumiyoshi/sumiyoshi.htm
http://www.city.ogaki.gifu.jp/basyo/basyo.htm
なお↑をみると、「奥の細道サミット」が、大垣市を第一回として「おくのほそ道」ゆかりの地で開かれています。
ところで、富山県で2回も開かれていますね。しかも宿泊地でもない県東部の隣り合う町(朝日町と入善町)で?。

朝日町は、わからないでもないのですが・・・。

元禄二年八月二十五日〔1689.10.08〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。

曾良随行日記)

巳下刻ヨリ降ル。

[巳下刻]。午前10時半ころでしょうか。

前にも一度紹介したかもしれませんが・・・
http://www.tsm.toyama.toyama.jp/curators/aroom/edo/ji-soralist.htm
↑のサイト、富山市科学文化センターのものです。

元禄二年八月二十四日〔1689.10.07〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。

曾良随行日記)

○廿四日 晴。

“大垣の蕉門の人々に、奥州・北陸旅の話をしたはずだ。じゃぁ、どんな話をしたのだろう、”との思いが昨日の「登場人物」の整理になりました。
俳諧紀行文「おくのほそ道」の成立の第一歩に、こうした身近な門人たちへの語りかけがあったはず、と思います。

旅の途上であった人々を「と云うもの」という決まった語り口で!、紹介していること、蕉門の人々が、杉風、濁子、露通(路通)、越人、如行と単に俳号だけで語られているのと対照的です。
(登場人物表、できるだけ原文の通りにしましたので、昨日の日記をご参照のほど)

「おくのほそ道」の出演スタッフ(出演順)

《登場人物:A》

・予 〔一 出発まで〕/〔六 日光〕/〔二十五 松島〕〔四十五 山中〕/〔四十八 福井〕
・我 〔四十六 全昌寺〕
・かゝる桑門の乞食順礼ごときの人 〔五 日光山の麓〕

・同行曾良  〔四 室の八嶋〕/曾良は、河合氏にして、惣五郎と云へり 〔六 日光〕/〔四十 市振〕/〔四十五 山中〕/〔四十六 全昌寺〕/〔五十一 大垣〕

・我々 〔三十 大山越え〕〔四十 市振〕


・むつましきかぎり 〔一 出発まで〕
・佛五左衛門 〔五 日光山の麓〕
・草刈おのこ 〔八 那須
・ちいさき者ふたり 〔八 那須
・ひとりは小娘にて、名をかさねと云 〔八 那須
・浄坊寺何がし 〔九 黒羽〕
・其弟桃翠など云〔九 黒羽〕
・(馬の)口付のおのこ 〔十一 殺生石
・すか川の駅に、等窮といふもの 〔十四 須賀川
・栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧 〔十四 須賀川
・里の童部 〔十六 忍ぶのさと〕
・爰(仙台)に画工加右衛門と云ものあり/風流のしれもの 〔二十一 仙台〕
・目盲法師 〔二十三 塩がまの浦〕
・松の木陰に世をいとふ人 〔二十五 松島〕
・関守 〔二十九 尿前の関〕
・封人 〔二十九 尿前の関〕
・究竟の若者 〔三十 大山越え〕
・尾花沢にて清風と云もの 〔三十一 尾花沢〕
・図司左吉と云もの 〔三十五 羽黒山
別当代会覚阿闍梨 〔三十五 羽黒山
・長山氏重行と云、ものゝふ 〔三十七 酒田〕
・淵庵不玉と云、医師 〔三十七 酒田〕
・美濃の国商人低耳 〔三十八 象潟〕
・若きをんな(二人)/越後の国、新潟と云所の、遊女 〔四十 市振〕
・年寄たる、おのこ 〔四十 市振〕
・大坂よりかよふ商人、何処と、云もの 〔四十二 金沢〕
・一笑、と云もの 〔四十二 金沢〕
・其(一笑の)兄 〔四十二 金沢〕
・あるじとするものは、久米之助 〔四十五 山中〕
・若き僧共 〔四十六 全昌寺〕
・丸岡、天龍寺の長老 〔四十七 丸岡天龍寺
・金沢の北枝と云もの 〔四十七 丸岡天龍寺
・爰(福井)に、等栽と云、古き隠士 〔四十八 福井〕
・侘しげなる女/かれ(等栽)が妻 〔四十八 福井〕
・(つるがの津の宿)あるじ/亭主 〔四十九 敦賀
・天屋何某と云もの 〔五十 種の浜〕
・露通 〔五十一 大垣〕
・越人 〔五十一 大垣〕
・如行 〔五十一 大垣〕
・前川子、荊口父子、其外、したしき人々 〔五十一 大垣〕


《登場人物:B》
・舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるもの 〔 一 出発まで〕
・古人 〔一 出発まで〕
・風騒の人 〔十三 白河の関
・古人 〔十三 白河の関
・古人 〔二十二 壷の碑〕
・造化の天工 〔二十五 松島〕
・蘇生のもの 〔五十一 大垣〕


《登場人物:C》
・そゞろ神 〔一 出発まで〕
道祖神 〔一 出発まで〕
・杉風 〔一 出発まで〕
・木の花さくや姫の神 〔四 室の八嶋〕
火火出見のみこと 〔四 室の八嶋〕
空海大師 〔六 日光〕
・玉藻の前 〔九 黒羽〕
・与市宗高 〔九 黒羽〕
氏神正八まん 〔九 黒羽〕
・佛頂和尚 〔十 運岸寺〕
・妙禅師 〔十 運岸寺〕
・法雲法師 〔十 運岸寺〕
・此所(芦野)の郡守戸部某 〔十二 芦野〕
・清輔 〔十三 白河の関
行基菩薩 〔十四 須賀川
・佐藤庄司 〔十七 丸山〕
・二人の嫁 〔十七 丸山〕
義経 〔十七 丸山〕
・弁慶 〔十七 丸山〕
・藤中将実方 〔十九 笠島
道祖神 〔十九 笠島
能因法師 〔二十 岩沼宿〕
・往昔むつのかみにて下りし人 〔二十 岩沼宿〕
・挙白 〔二十 岩沼宿〕
・国守 〔二十一 仙台〕
・按察使鎮守苻将軍大野朝臣東人 〔二十二 壷の碑〕
・参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣朝かり 〔二十二 壷の碑〕
聖武皇帝 〔二十二 壷の碑〕
・国守 〔二十四 塩がまの明神〕
・和泉三郎 〔二十四 塩がまの明神〕
・大山ずみ 〔二十五 松島〕
・雲居禅師 〔二十五 松島〕
・素堂 〔二十五 松島〕
・原安適 〔二十五 松島〕
・杉風 〔二十五 松島〕
・濁子 〔二十五 松島〕
・真壁の平四郎 〔二十六 瑞岩寺〕
・雲居禅師 〔二十六 瑞岩寺〕
・見仏聖 〔二十六 瑞岩寺〕
・三代 〔二十八 平泉〕
・秀衡 〔二十八 平泉〕
・泰衡等 〔二十八 平泉〕
・義臣 〔二十八 平泉〕
・兵共 〔二十八 平泉〕
・兼房 〔二十八 平泉〕
・三将/三代 〔二十八 平泉〕
・蚕飼する人 〔三十一 尾花沢〕
・慈覚大師 〔三十二 立石寺
・能除大師 〔三十五 羽黒山
・此国の鍛冶 〔三十六 月山・湯殿山
・干将、莫耶 〔三十六 月山・湯殿山
・行尊僧正 〔三十六 月山・湯殿山
西行法師 〔三十八 象潟〕
・神功后宮 〔三十八 象潟〕
・西施 〔三十八 象潟〕
・真盛 〔四十三 太田神社〕
・義朝公 〔四十三 太田神社〕
木曾義仲 〔四十三 太田神社〕
・樋口の次郎 〔四十三 太田神社〕
・花山の法皇 〔四十四 那谷寺〕
・かれ(久米之助)が父 〔四十五 山中〕
・洛の貞室 〔四十五 山中〕
・貞徳 〔四十五 山中〕
西行 〔四十七 汐越の松〕
道元禅師 〔四十七 永平寺
仲哀天皇 〔四十九 敦賀
・遊行二世の上人 〔四十九 敦賀



以上、A,B.Cの区分は、暫定的なものです。Aは、直接の登場人物ですが、一笑のような方(故人)も含まれています。

(注)人物名のあとの〔数字と段名〕は、私がある本にもとづいてつけたものです。
  (参照:http://www2.comco.ne.jp/~mihokoyo/okunohosomichi.htm


・草刈おのこ 〔八 那須
・ちいさき者ふたり 〔八 那須
・ひとりは小娘にて、名をかさねと云 〔八 那須

私には、この田園詩のグループがいちばん印象に残っています。



国木田独歩忘れえぬ人々』を思い出しますが、
しのぶもぢ摺の石の由来を語ってくれた「里の童部 」〔十六 忍ぶのさと〕や、見た目よりもおしゃべりで繊細な神経の持ち主?「究竟の若者 」〔三十 大山越え〕、芭蕉のサインをねだった全昌寺の「若き僧共 」〔四十六 全昌寺〕など、
チョイ役ですが、その場での「予」との対話(「予」の相好なども)が浮かんできて、大好きな人々です。

異質ながら考えようによってはツインとも思われる「佛五左衛門」と「等栽」は、ちょっと別格ですが・・・。

元禄二年八月二十三日〔1689.10.06〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。

曾良随行日記)

○廿三日 快晴。

文中の「前川子」は津田前川 、「荊口父子」は、宮崎荊口とその三人の息子たち(宮崎)此筋、(岡田)千川、(秋山)文鳥

時間がないので、毎日メモですみません。

元禄二年八月二十二日〔1689.10.05〕

大垣の庄に入ば、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外、したしき人々、日夜とふらひて、蘇生のものに、あふがごとく、且、よろこび、且、いたハる。

曾良随行日記)

○廿二日 快晴。

大垣に着いた芭蕉は、大垣藩士・近藤如行邸を宿とする。蕉門の親しき人々が集まってくる。
(なお、当時の美濃大垣藩十万石の当主は、四代・戸田氏定(貞享元年八月〜享保八年四月)

追記〔秋の暮〕

「秋の暮」の対は、「春の暮」。以下は、「ほそ道」三日目、室の八嶋を訪れた時の芭蕉の句です。

糸遊に結つきたる煙哉
あなたふと木の下暗も日の光
入かゝる日も程々に春のくれ
鐘つかぬ里は何をか春の暮
入逢の鐘もきこえず春の暮

「ほそ道」本文に芭蕉はこの地での句を記していませんが、曾良が「俳諧書留」に残していました。
(なお、三句目は、“入かゝる日も糸ゆふの名残かな”の中七と下五を直したものです。)

この句の注に、
「春の暮」は江戸時代初期の『山之井』などでは暮春であるが、『産衣』には「大暮にはこれなき也。時分の暮なり」とし、次第に春の夕暮れにも用いられた。---と、あります。(『松尾芭蕉集1 全発句』日本古典文学全集70/小学館/1995.7)

ところで、八嶋でのこれらの句をどうして本文にいれなかったのか、たっぷりと書かれた楸邨の解説をもう一度読みたいのですが、講談社学術文庫加藤楸邨芭蕉の山河』数ヶ月前、JR車内に内に置き忘れてしまって・・・。