《初真桑》再登場!

あふみや玉志亭にして、納涼の佳興に瓜をもてなして、発句を乞うて曰、句なき者は喰事あたはじと戯れければ初真桑四にや断ン輪に切ン (真蹟詠草) 初真瓜四ツにやわらん輪にやせむ (うき世の北) 初真桑たてにやわらん輪に切ん (泊船集) 以上は、岩波文…

元禄二年六月二十九日〔1689.08.14〕

北陸道の雲に望、遥々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで、百丗里と聞。 (曾良随行日記) 〇廿九日 天氣吉。昼時、喜兵・友兵來テ(帯刀公ヨリ百疋給)、光榮寺ヘ同道。一燈公ノ御墓拝。道ニテ鈴木治部右衛門ニ逢。帰、冷麦持賞。未ノ下尅、宿久左衛…

元禄二年六月二十八日〔1689.08.13〕

北陸道の雲に望、遥々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで、百丗里と聞。 (曾良随行日記) 〇廿八日 朝晴。中村ヲ立、到蒲萄(名ニ立程ノ無難所)。甚雨降ル。追付、止。申ノ上刻ニ村上ニ着。宿借テ城中ヘ案内。喜兵・友兵來テ逢。彦左衛門ヲ同道ス。…

元禄二年六月二十七日〔1689.08.12〕

北陸道の雲に望、遥々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで、百丗里と聞。 (曾良随行日記) 〇廿七日 雨止。温海立。翁ハ馬ニテ直ニ鼠ケ關被趣。予ハ湯本ヘ立寄、見物シテ行。半道計ノ山ノ奥也。今日モ折々小雨ス。及暮、中村ニ宿ス。 3月27日より、…

元禄二年六月二十六日〔1689.08.11〕

北陸道の雲に望、遥々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで、百丗里と聞。 (曾良随行日記) 〇廿六日 晴。大山ヲ立。酒田ヨリ濱中ヘ五リ近シ。濱中ヨリ大山ヘ三リ近し。大山ヨリ三瀬ヘ三里十六丁、難所也。三瀬ヨリ温海ヘ三リ半。此内、小波渡・大波渡…

元禄二年六月二十五日〔1689.08.10〕

酒田の余波、日を重て、北陸道の雲に望、遥々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで、百丗里と聞。 (曾良随行日記) 一 廿五日 吉。酒田立。船橋迄被送。袖ノ浦向也。不玉父子・徳左・四良右・不白・近江屋三良兵・加ゞや藤右・宮部彌三郎等也。 未ノ尅…

《おくのほそ道》六月十一日 〔073〕

逈が岡の城下、長山氏重行と云、もののふの家にむかへられて、誹諧、(・・・) (曾良随行日記) 〇十一日 折々村雨ス。俳有。翁、持病不快故、昼程中絶ス。 曾良本では、「逈が岡」〔←鶴が岡〕、「誹諧」〔←俳諧〕の文字が使ってあります。(昨日は、うっ…

《おくのほそ道》六月十日 〔072〕

羽黒を立て、逈が岡の城下、長山氏重行と云、もののふの家にむかへられて、俳諧、一巻有。左吉も、共に送りぬ。 (曾良随行日記) 〇十日 曇。飯道寺正行坊入來、会ス。昼前、本坊ニ至テ、蕎切・茶・酒ナド出。未ノ上刻ニ及ブ。道迄、円入被迎。又、大杉根迄…

《おくのほそ道》六月九日 〔071〕

坊に帰れバ、 (曾良随行日記) 〇九日 天気吉、折々曇。断食。及昼テシメアグル。ソウメンヲ進ム。亦、和交院ノ御入テ、飯・名酒等持参。申刻ニ至ル。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出來ル。 岩波文庫の注によると、下山の翌朝は断食し,昼にそうめ…

《おくのほそ道》六月八日 〔070〕

坊に帰れバ、阿闍梨の求に仍て、三山順礼の句々、短冊に書。 涼しさやほの三か月の羽黒山 雲の峯幾つ崩て月の山 語られぬ湯殿にぬらす袂哉 湯殿山銭ふむ道のなみだかな 曾良 (曾良随行日記) 〇八日 朝の間小雨ス。昼時ヨリ晴。和交院御入、申ノ刻ニ至ル。 …

《おくのほそ道》六月七日 〔069〕

日出て雲消れば、湯殿に下ル。 谷の傍に、鍛冶小屋と云有。此国の鍛冶、霊水を撰て、爰に潔斎して、剱を打、終、月山と銘を切て、世に賞せらる。彼、龍泉に剱を淬とかや。干将、莫耶の、昔をしたふ。道に堪能の執、あさからぬ事しられたり。岩に腰かけて、し…

《おくのほそ道》六月六日 〔068〕

八日、月山に登ル。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と、云ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の、雲関に入かとあやしまれ、息絶へ身こゞへて、頂上に臻れば、日没て、月あらはる。笹を鋪、篠を枕として、臥て…

《おくのほそ道》六月五日 〔067〕

五日、権現に詣。当山開闢能除大師ハ、いづれの代の人と云事をしらず。延喜式に、羽州里山の神社と有。書写、黒の字ヲ、里山となせるにや、羽州黒山を、中略して、羽黒山と云にや。出羽といヘるハ、鳥ノ毛羽ヲ此国ノ貢ニ献ると風土記に侍とやらん。月山、湯…

《おくのほそ道》六月四日 〔066〕

四日、本坊にをゐて俳諧興行。 有難や雪をかほらす南谷 (曾良随行日記) 〇四日 天気吉。昼時、本坊ヘ蕎切ニテ被招、会覚ニ謁ス。並南部殿御代参ノ僧浄教院・江州圓入ニ会ス。俳、表計ニテ帰ル。三日ノ夜、希有観修坊釣雪逢。互ニ泣涕ヌ。 六月四日(G:7/…

《おくのほそ道》六月三日 〔065〕

最上川は、みちのくより出て、山形を水上とス。ごてん・はやぶさなど云、おそろしき難所有。板敷山の、北を流て、果は、酒田の海に入。左右山おほひ、茂ミの中に、船を下す。是に稲つミたるをや、いな船とハ云ふならし。白糸の瀧は、青葉の隙々に落て、仙人…

《おくのほそ道》六月二日 〔064〕

もがみ川乗らんと、日和を待。 (曾良随行日記) 二日 昼過ヨリ九郎兵衛ヘ被招。彼是、歌仙一巻有。盛信、息、塘夕、渋谷仁兵衛、柳風共。孤松、加藤四良兵衛。如流、今藤彦兵衛。木端、小村善衛門。風流、渋谷甚兵ヘ。 六月二日(G:7/18)、新庄2日目。…

《おくのほそ道》六月一日 〔063〕

もがみ川乗らんと、大石田と云ところに、日和を待。 (曾良随行日記) 〇六月朔 大石田を立。辰刻、一栄・川水、弥陀堂迄送ル。馬弐疋、舟形迄送ル。ニリ。一リ半、舟形。大石田ヨリ出手形ヲ取、ナキ沢[名木沢]ニ納通ル。新庄ヨリ出ル時ハ新庄ニテ取リテ、…

追記 芭蕉さんにインタヴュー

芭蕉さんにとって、はたまた曾良さんにとって、この2か月は、どういうものだったのでしょうか。 「あなたにとって、○○とはなんですか?」という、本来はとても重いはずの問いを、自らの問いを持てぬマスコミは「問い」の常套句としてしまったようです。 私…

《おくのほそ道》五月三十日 〔062〕

もがみ川乗らんと、大石田と云ところに、日和を待。爰に、古き俳諧のたね、落こぼれて、わすれぬ花のむかしをしたひ、蘆角一声の、心をやハらげ、此道にさぐりあしして、新古ふた道に、ふミまよふといへども、道しるべする、人しなければと、わりなき一巻を…

《おくのほそ道》五月二十九日 〔061〕

もがみ川乗らんと、大石田と云ところに、日和を待。爰に、古き俳諧のたね、落こぼれて、わすれぬ花のむかしをしたひ、蘆角一声の、心をやハらげ、此道にさぐりあしして、新古ふた道に、ふミまよふといへども、道しるべする、人しなければと、わりなき一巻を…

《おくのほそ道》五月二十八日 〔060〕

もがみ川乗らんと、大石田と云ところに、日和を待。 (曾良随行日記) 一 廿八日 馬借テ天童ニ趣。六田ニテ、又内藏ニ逢、立寄ば持賞ス。未ノ中尅、大石田一英宅ニ着。両日共ニ危シテ雨不降。上飯田ヨリ壱リ半、川水出合、其夜、勞ニ依テ無俳。休ス。 ところ…

《おくのほそ道》五月二十七日 〔059〕

山形領に、立石寺と云、山寺有。慈覚大師の開基にして、殊、清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに仍て、尾花沢よりとつて返し、其間七里計なり。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂に登ル。岩に巌を重て山とし、松栢年ふり、土石老て、苔…

《おくのほそ道》五月二十六日 〔058〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。 かれハ、富るものなれども、心ざし、いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。 (曾良随行日記) 廿六日 昼ヨリ於遊川ニ東陽持賞ス。此…

《おくのほそ道》五月二十五 〔057〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。 かれハ、富るものなれども、心ざし、いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。 (曾良随行日記) 〇廿五日 折々小雨ス。大石田ヨリ川水…

《おくのほそ道》五月二十四 〔056〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。 かれハ、富るものなれども、心ざし、いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。 涼しさを我宿にしてねまる也 這出よかいやが下のひきの声…

《おくのほそ道》五月二十三日 〔055〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。 かれハ、富るものなれども、心ざし、いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。 涼しさを我宿にしてねまる也 這出よかいやが下のひきの声…

追記《紅花資料館》と堀米氏

紅花大尽としては、芭蕉のおかげで鈴木清風が有名ですが、最上紅花の産地としては村山郡河北町が本場で、ここにもう一人の紅花大尽にちなんだ《紅花資料館》があります。 近郷きっての豪農だった堀米家は、元禄の頃から農地の集積を行い、文政年間から明治期…

《おくのほそ道》五月二十二日 〔054〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。 かれハ、富るものなれども、心ざし、いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。 (曾良随行日記) 廿二日 晩、素英ヘ被招。

《おくのほそ道》五月二十一日 〔053〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。 かれハ、富るものなれども、心ざし、いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。 涼しさを我宿にしてねまる也 (曾良随行日記) 廿一日 朝…

《おくのほそ道》五月二十日 〔052〕

尾花沢にて、清風と、云ものを尋ぬ。 (曾良随行日記) 廿日 小雨。 五月二十日(G:7/6)、尾花沢4日目。 曾良日記の中でも、最短記録でしょう。短いものでは(四月)「廿六日 小雨ス。」というのがありました。 そう言えば、その2日前に「昼過ヨリ可伸庵…